2023.04.06

友達や家族や恋人が私の遠いところで幸せになってくれていれば私は気を狂わせながら生き続けられるんじゃないかと思ってしまう、最悪の希望が心にちゃんとあって悲しいけど安心する。それはそこに私が関与していないという安心。私がいなくても何も変わらない虚しさ。知らないおじいちゃんとこの間ベンチでおしゃべりをしたんだけど、この人は私のことを必ず忘れてしまうし私を怒ったり怖がらせたりしない絶対的な安心感で動きたくなかった。ずっとそこにいたかった。別れ際にさようならと言ったらバイバイまたねと返事をしてくれたけど、またねが絶対にないからこそとても幸せな瞬間だった。

 

彼氏と桜を見ながらお酒を買って人混みを避けていつもは通らない道を歩く。

昔なにかの映画できいた「私のために桜は咲いて雨なんかじゃ散らない私と好きな人が二人で桜並木を歩いて気が済めば散りゆく全てのものがそうあればいい」というセリフを思い出して後ろは絶対振り返らなかった。二人で散歩して楽しいのはちゃんと外の音が聞こえることだと思う。私のことを人間の声で呼んでくれること、車が地面を走る音、人の足音と鳥の鳴き声と遠くの工事現場の音を聞くのは普段イヤホンに遮断されすぎている。全部に意味があると思うと吐きそうになるけど…。

 


自分が馬鹿にされているような思い込みは昔からの癖でいまだに心がただれてしまう。いじわるしないでほしい、ヘラヘラすることしかできないから。その人たちの本当か本当じゃないかを確かめたくないしそんなふうに思いたくもない。ずっと心の中にある。愛したいときに愛せなくなるのが怖いから。ちゃんと私のことを人間として人間の声で呼んでくれる人に失礼だから。そういう人に今すぐ会いたくなる気持ちで上書きして叫びたいのを堪えてゴミばっかりの部屋で寝よう。二等賞のくじとか初めて食べに行ったお店のレシートとかプレゼントを包んでいてくれたリボンとかをお守りって呼んで本当に大切にしてることだけは触れないでいてくれたらいいや。

 

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